新しい神様

 趣味でゴスペルやってるだけあって、「神様」というワードは良く登場し、歌っている以上やっぱり考えてしまいますよね、「神様」。

 話がとぶようなんですが、ワタクシ、今ハマっているマンガに「デスノート」という作品があります。
 http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=07129511
 主人公は、そのノートに名前を書いたらその人が死ぬ、というノートを持っており、これを使って犯罪者のいない新世界の「神」になろうとします。
 作中でも、世間は、何者か分からないが、生殺与奪権を持つ存在がいることに気付き、恐怖のあまりに恐れ、中には極端な「信者」も登場してきたりします。もちろん主人公は自分がそれであることは明かしませんが。
 科学万能の今の時代に、そりゃ原因不明でコロコロと人が死んでしまうって。でも、だからこそ、このデスノートは、でも人気があるんじゃなかろうか、と思うのだわ。

 昔、まだ科学が万能じゃなかった時代は、言い方は悪いが神様という存在は有効だった。「罰(ばち)が当たる」という言葉は、十分抑止力が会ったと思う。いわば「デスノート」と変わりはしない。

 今では何かと言うと、カメラがあるかないか、ではなかろうか、と思うのです。
 カメラの前で、つい暴言を吐いてしまって、世論の反感を買った経営者、は記憶にあるだろう。その氏を弁護するつもりではないが、カメラのないところで、同じようなことを影で言っている企業経営者は、たぶん10倍はいると思う。残念ながら、彼はカメラの前で暴言を吐いてしまい、全国に放送されることになってしまった「だけ」なのだ。
 最近は市街地にも監視カメラが常備されるようになった。犯罪抑止力の面とプライバシーの侵害という面を抱えながら、街頭カメラの設置の可否はとりあえずおいといて、じわじわと「今の貴方の行動は、もしカメラが目の前にあって、全世界に放送されてもも同じことができますか?」というのが、現代の倫理だと思う。
 本来は自分自身に問われるものなんだけど、悲しいかな、なかなかそれが難しい。今の時代は「衆人」という「神様」は有効らしい。