電池はパナソニックあたりで補充してくれやぃ

 いくらか、自分が疲れていて、「あー、やさくれてるな」と思うときってありませんか?
 たとえば電車で自分が疲れて座っているのに、目の前で老人がプルプルと震えて立って、でも「何もできない自分」を感じたとき・・・

 なかなか自分の感情を出しにくい世の中ですが、人々は何かを訴えたいときにこそ、圧倒的に感情的に語るのかなぁ。
 それ以外の方法がないというか、感情を出す方法って、基本的に生き物的なモンでしょう。

 そーいうことをオイラが思ったのは、この本が売れてる今売れてること。
 そしてついオイラも買ったこと。

 「電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ 角川書店/編・角川書店
 http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31057508

 長野にある特殊学級の、子供の作文を集めたものです。
 いやぁ、行間からにじみ出る子供たちの痛々しさが、まさに痛々しい。

 例えばこの日記だってあーだこーだと能書きを垂れることは可能なのですけど、人間泣いたり、笑ったり、怒ったりするってのは、子供の素直な表現、最後の手段ですよね。それだけに余計痛々しく思えちゃいます。

 しかも小学生なのにウチらよりも理解があるんだよねー。 
 
 基本、感情ってだからこそ、オイラもそうだけど人々の根幹を震わせる、そう思っちゃいました。

 1999年に発売されて、大ヒットになった「五体不満足」。
 http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=30463164

 この本が爆発的に売れたのは、「身体障害者の書いた本(やっぱり表紙はショッキング)なのに、行間から行政や社会へのうらみつらみが見あたらず、それをスマートにこなして生きている、乙武クンってかっこいい!」というの気がするのですが。
 だって500万部だよ。5000000!

 でもオイラは、日本テレビでやってた乙武氏の密着ドキュメントの方がどこか生々しくてリアルだったなー。「どこにいっても自分の生い立ちを話さなければならない、それが苦痛だった」
 やっぱり生身の人間だもの(相田みつお?)。テレビを見ててそれがあってあたりまえだよなーと、無性に利口ぶったりしてしまいました

 まーふとしたときに「あ、オレ電池切れてるなーって」そういうときに、長野の子供だけじゃなく、まわりで何気なく苦しんでいる人たちのことを思い出すと、まだ「オレ、頑張らないとな」って思います。