Qたろうの「さらば、立花隆」 その2

 「知の巨人」こと立花隆氏。彼の作品の方向転換になった作品がこれ。
 「宇宙からの帰還」(中公文庫)
 http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=03411687

 アメリカで宇宙飛行士にインタビューをして「宇宙に行って何が変わったか」というテーマを追った著作になっています。
 当時の人曰く、社会時評で深くテーマに切り込む立花隆が、理系テーマで書いたのにもびっくりしたのに、しかもこれまたおもしろい!という評判だったらしい。

 それから、彼の著作は理系テーマに傾いていきます。
 1986年「脳死」、1987年「ロボットが街を歩く日」、1988年「脳死再論」、1990年「精神と物質」、1991年「サル学の現在」、1992年「宇宙よ」
 と挙げればきりがない。
 オイラが「同時代を〜」を知ったのがこのころだから、著作としては「同時代〜」以外の社会科学系のものに触れることがなかった、というかできなかったんだね。
 
 さらに著作リストをすすめていくと、
 1993年「電脳進化論」、1994年「生、死、神秘体験」、1994年「臨死体験」、1996年「インターネット探検」、1996年「脳を究める」、1996年「証言・臨死体験」、1997年「インターネットはグローバルブレイン」

 文芸評論家、斎藤美奈子いわく、このカテゴライズのテーマは「脳」だと看破。「集団」から「人間」そして「脳」。知の巨人というより「知ることって何だ?」を究めているようにみえます。

 そしてオイラが上記の中で過去に読んだのが、「臨死体験」(文春文庫)
 http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=30649177
 http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=30649178
 読んだ結論、正直、どうも違和感をぬぐえなかった。
 臨死体験というテーマが、オカルトに走るのは仕方ないとして、立花氏は「絶対に臨死体験には科学的な確証があるはずだ」というアタマから離れずに書いているようであったし、そして結果、科学的には解明することができないまま話はウヤムヤに終わる。

 「立花隆でも結論が出せないことがあるんだ」という驚きと不審、そして「何故すべてを”脳”で解明しようとするんだ」という違和感を、今でも忘れることができません。
 いま思うに、この時期が立花氏の限界だったのかもしれません。取り上げるテーマにしてもそのアプローチにしても、時代の要請の変化としても。

 次回につづく。