ちょっと重いけど、やっぱり見て欲しい、映画「A」
おとといライブがあったばかりだけど、今日はカルチャーのゴスペル。
あらためて、みんなでうどんで乾杯!
そうそう、ついにビデオ化されたあれを昨日借りて見たよ!
森達也監督の「A」です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009P68I/qid=1061997465/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-1357232-7685026
オウム真理教広報部長、荒木浩氏を長い間追いかけたノンフィクション。
誇張的なテロップもナレーションも音楽も効果音もナシ。信者の顔にもモザイクをかけません。ただただ素材で勝負。というか誇張をなくすことで、対象を際だたせる意図があるんだろなーって思った。だって取材対象が今まで語り尽くされ、しゃぶり尽くされてしまったオウム真理教だもの。
オウムの中から見てみれば、信者の人はみんな純真でマジメで、少し堅いけど自分たちと同じ血の通っている人間なのに、テレビのフィルターをとおすとこうも変えられてしまうのか、と思ってしまいます。
メディアが端から「これがオウムだ」というふうに思いこんで取材しているから、インタビューに齟齬をきたす。まだその努力をするならいい方で、努めることすらしないから、テレビは紋切り型の展開の報道に落ち着き、視聴者はそれが真実だと思わせられる。
信者にとっては悪循環です。
一番怖かったのはむしろ一般市民や警察。カメラが回っているにもかかわらず、警官が自分から倒れて、オウム信者を公務執行妨害で逮捕される瞬間なんて、見てられなかった。権力にモノを言わせる醜さに、相手の気持ちを想像しない無自覚さに。
しーっかし現実を見つめるってことは非常に体力を使うことを実感しました。そう考えると映像にテロップやナレーションを入れるってのは、それを逸らせる方法なのかもしれん。
そうすると、ますますわれわれの「テレビ力」ってのは年々落ちてると思うよ。活字は自分のペースで読み進められるけど、テレビは自分のペースにはならないからね。昔に比べたらやたらテロップや過激ナレーションの番組が多くなったのは気のせいじゃないだろう。
いずれにしても、この話はもう済んだ昔の話ではありません。今の一連の北朝鮮の報道を見れば、今と対して変わりはないんじゃないかな
。
「よくわかんないけど、なんだか世の中の空気が不穏だよね」って人に、ぜひ見てもらいたい映画です。