法律知識(リーガルマインド)も危機管理のひとつ。

 んー、忙しくてなかなか書けんで、すみません。
 せっかく「偽札事件」で読者増やしたのに(ウソです、増えてません)
 
 いちおー、Qたろうは法律関係の本を出している出版社で働いているのですが、法律っての社会を良くも悪くもすることが出来るツールなのですが、それも結局解釈によってはこうも歪んでしまうのか、という本を発見。
 オイラのお気に入りの著者、日垣隆氏の本。読み終わったのはずいぶん前なんだけど、書くタイミングを失ってたのよ。
 「裁判官に気をつけろ!」(日垣隆/著・角川書店
 http://product.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31168345

 前にもちょっと書きましたが、この日垣氏は14歳の時に実の弟を殺され、その時に日本の法制度に疑問と理不尽さを持ち、それ以来刑法について知ることが彼のライフワークとする人なのです。
 といっても大学の教授みたいな難しい解釈はいっさいナシ。裁判の判決例と日本の刑法の歴史をてらしあわせて、これでもか!というくらい「おもしろおかしく」書いたのが、この本です。
 とはいえ、法律って小難しい。本人も著作の中に書いていますが、「リーガルマインドを持ってもらえれば、世の中有利だから」というスタンスで書いております。

 しかし、本文中に出てくる裁判の判決には呆れるばかり。
 ・父親から性交を強要されても、強姦には認定されない
 ・家族が殺されても犯人が覚醒剤使用なら「心神喪失」で大幅減刑
 ・老婆が若い男にレイプされても「了解不能」で無罪

 日垣氏いわく「バカタレ判決」を多く拾い上げて、その原因を日本の古びた刑法や裁判官の世間知らずさに求めています。 
 日本の刑法は明治時代に作られた法律のため、しかもそれを運用・判断する検察官・弁護士・裁判官のおかしな解釈によって、おかしな判決に導かれていく、というものです。
 
 世の中は「成果主義」にすすもうとしているのに、裁判だけは何故かプロセス「犯行動機」だけが重要視されてんだよね。被害の実態や規模の大小はほとんど勘案されず、意図があったかなかったか、しかもそれは裁判官が理解できるか理解できないか、という基準だけで判断されているのです。

 最近はやりの、テレビの法律番組よりは良心的なつくりになってます。
 でも正直なところ、なるべくなら自分の人生に、裁判なんてかかわりたくないね。