意識的にふるまうって大切なのね。読書でも。
今日は図書館ボランティア。土曜日の午前中から健康的に奉仕作業してきました。
昨日本屋で買ったのが、こいつ。
「悪の読書術」(福田和也・講談社現代新書)
http://product.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31196855
新書という教養・啓蒙めいたパッケージではありますが、この本はスラスラ読めました。
さすが多作の福田氏だけありますな。
というか、今までの「読書論」の本の中で、正直いちばんオイラのこの「役たた」の意識に近いなぁ、と思ったのです。
もちろん福田氏とオイラを比較するのは雲泥の差、月とスッポン、ジャイアント馬場と白木みのるくらいの差がありますけども(何じゃそりゃ)、「読書」を意識するよりも、「読書を語る」ことを意識するスタンスに力を入れているのです。
たとえば「須賀敦子・本にも階級がある」「決意をして読め京極夏彦」「大沢在昌は愛人に読ませるな」なんて感じにね。オイラ読んだことないけど。
読書ってそもそも独りよがりなものでしょ。それを人に伝えようってのは、「伝える戦術」を考えなきゃいけないってことですからね。読書するという事実だけじゃなく、自分がどう見られたいのか、自分はどんな人間だと思われたいのか、その「読書」の一歩先について、この福田氏はなみなみならぬ思いを抱いているのが、この本からひしひしと伝わってきたのです。
それでだけでもなく、新書の説明や文学賞の説明なんてのもしてくれるところもなんだか「役たた」に似てるんだよなぁ。もしかして真似された?!
ちなみにタイトルの「悪」とは「自らの無垢さ、善良さをを前提とする甘えを抜け出し、より意識的、戦略的にふるまうためのモラルにほかなりません」
んー、かっこいい〜。大人の言葉ですね。
この「悪の読書術」は福田氏のシリーズ3作目。この前にはちょっとだけベストセラーになった「悪の対話術」「悪の恋愛術」があります。
「大人のための教養シリーズ」みたいなものかねぇ、読みたい〜。