人を助けて、助けられるとは、どういうことか その1

 これを読了しました。これはぜひ健康な人も病気の人も読んでほしい!
 「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(渡辺一史北海道新聞社)
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 2003年の講談社ノンフィクション賞を受賞した作品です。
 鹿野靖明氏は、筋ジストロフィー患者。「筋ジストロフィー」とは通常よりも筋肉の衰えの進行が早い病気で、徐々に解明はされているものの、今なお根本的な解明されていない病気とされています。
 鹿野氏もその病気のために、自らの足では歩けず電動車いす、手もわずか指先しか動かず、睡眠時の寝返りさえその筋力がないためにできず、しばしば体位交換の介助をしてもらわなければならない。トイレだって言うまでもなく、人工呼吸器がなければ呼吸すらできず、定時に痰を吸引機で取り除かなければ呼吸器が詰まって窒息してしまう。もちろん吸引機を使用するのは介助者だ。

 そんな鹿野氏が特異である点は、彼は病院に入院しているのでなく、親元で介助してもらうのでなく、自宅で有償無償のボランティアスタッフと、24時間の介助生活を行っているという点なのだ。
 そして、もうひとつ特異である点は彼の自立生活が「ボランティア=介助する人」「障害者=介助を受ける人」という構図を超えた関係であることなのだ。

 ボランティアというと、感動的な話というイメージがどうしてもつきまとうのだが、この「鹿ボラ」はそれだけではない。
 鹿野氏は自分が生きていくためには、介助は必要不可欠であるけれども、それに甘んじる気は全くない。自らから主体的に、ボラスタッフにぶつかっていくのだ。
 そのエピソードを如実に表したのが、タイトルにもなっている「バナナ」の話になるのだ。

 ある深夜のこと、ボラスタッフの青年と鹿野。ボランティアとはいえ、当時学生だった彼はバイトに学生生活にと忙しく疲れていた。深夜に眠っていた彼は鹿野に起こされる。「腹が減ったからバナナ食う」と。「こんな真夜中にバナナかよ」と内心腹を立てるものの口には出さずバナナをむき、無言で鹿野の口にバナナを押し込む。二人の間にはいい知れぬ緊張感。もういいだろう、寝かせてくれ、とベッドに潜り込もうとした時、鹿野が言った「もう1本」
 何ぃー!という驚きとともに、なぜだか彼はそこで彼への怒りが急速に冷えていったという。