80年代ニューアカデミズムとセゾン文化の僥倖な出会い

 今日は帰り道途中の商店街の定食屋で、生姜焼き定食の晩メシ。家庭の味、といえば聞こえはいいが、なんだか冴えない料理。

 昨日の続き、「書店風雲録」
 http://product.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31309199
 
 1975年に生まれた西武ブックセンターは、今のリブロ池袋店。そしてこの書店を情報発信の中心に1980年代のニューアカデミズムが流行した、ということらしい。この時期にオイラは東京にはいなかったので、リブロの役割というのがどういうものだったのか正直知らないのだ。
 とはいえ、今のリブロ池袋店に行くと、ただものではない書店である事はピリピリと肌で感じる事ができるよ。なかなか言葉では表現しにくいんだけど。

 田口氏の著書になっていますが、半分は彼女が仲間にインタビューしたものが半分くらい。インタビューを受けているのは中村文孝氏と今泉正光氏。ともにリブロの中心的な存在であったようです。今泉氏が今の「人文書リブロ」をつくりあげたキーパーソンなんだって。

 背景として忘れちゃならないのが、80年代の西武グループ、セゾン文化をつくりあげた張本人、堤清二。本文には登場しませんが、西武の進めた80年代カルチャーの核となる人物であることにはまちがいありません。
 またこのリブロを語るためには、リブロを取りまいていた80年代セゾン文化を語らなきゃ話がすすまないんだな。

 西武美術館、のちのセゾン美術館だけでなく、美術書を販売していた「アール・ヴィヴァン」(ちなみにオイラの尊敬する永江朗氏はここの書店出身!)出版事業の「リブロポート」、音楽の「WAVE」。
 これら「セゾン文化」と「ニューアカデミズム」の出会いによって、リブロは人文書ジャンルの専門として確立し、池袋店に「POSTー」コーナーをつくったり、「CONCORDIA」棚を使ったフェアを展開したりして、現在の「人文書のリブロ」という看板を得る事になったのだ。

 その後社会情勢だけでなくリブロも株主が大きく変わり、リブロの創設者でもあり小川氏が亡くなり、当時のリブロを支えた人物も田口氏をはじめリブロを離れ、現在は大株主が取次会社の日販となって新しいリブロがつくられようとしているところで話は終わります。

 果たしてこの21世紀はどんな時代なんでしょうね。この時代をリアルタイムで眺めたかった。