現実と仮想世界の間で考える「ルサンチマン」考 その2

a2c_sato2005-04-12

 話は続きます「ルサンチマン」。表紙は第3巻。
 
 話が進むと、たくろーの同期で威勢のいい営業ウーマン、長尾が登場しまして、不器用ながらもたくろーとの関係がすすんでいきます。最終的には、たくろーが現実か仮想現実を選ばなければならないのですが、一般読者は現実に真摯に生きる長尾に感情移入し、オタ男子は夢の中で徹頭徹尾生き抜く、拓郎の友人の越後に感銘すんのかな。この壁は現実と夢の壁。どれだけ人間が進化しようが科学が発達しようがになくならない、人類における断絶だと言ってもいいと思う。
 
 ストーリーとしては最終話に急いだ感があるな。膨らませられそうなエピソードがたっぷり。話の濃度ぶりから見てもったいない気もした。
 ただラストは落ち着くところに落ち着いてます。主人公は拓郎だったはずなのに、ラストでは拓郎は主人公ではないし、しかも月子も長尾もどちらも真の勝者にはならず、凡百のハッピーエンドにならずになってよかった。
 マンガ内では拓郎の行動は褒められたものじゃありません。排泄・嘔吐・露骨すぎる欲情。はっきり言って女子には嫌われる画ですね。しかしこの場合逆に現実世界に生きていることにリアリティを増してます。拓郎の、豪快に飲んだりガツガツ食べたりするシーンが何故か印象的。結果的に現実世界に生きる、というのを上手に表現しているのかもしれない。実家弁当屋だし。

 つくづく、この「ルサンチマン」やこの作品のベースになっているであろう、映画「マトリックス」を見ると、「もしかして自分達は生かされているのか?この仕事場も触れる人の温もりも誰かが作ったものであって、現実の物ではないのではないか」と思えてくるよ。
 果たして神が人間をつくったのか人間が神を作ったのか・・・